シン・ゴジラ

映画

やっとこさこの話題について発言できます。

極力ネタバレ無しで書いていこうと思うのですが、基本的にすでに観た人前提に書こうと思っていますので、
これから観ようと思っている方、レンタル開始まで待とうと思っている方は読まれないことをオススメします。










まず、筆者はエヴァンゲリオンにこれっぽっちも思い入れがございません。

友人にエヴァファンがいるので若干のエッセンスが盛り込まれているのは理解できましたが、
基本的には純粋に庵野秀明監督による「シン・ゴジラ」の感想となるであろうと思います。

では、考察を始めていこうと思います。

映画は、羽田沖のトンネルでの崩落事故から始まります。

事故直後、首相をはじめ各省庁のトップが集まり、いま起こっている事象について

どう対処していけば良いか会議を進めていきますが、総理はどうやら緊急を要する事態に対処できない様子。

閣僚の意見に促されるままに決断を下していくとい描き方にまず監督のディスりを感じる。

「想定外」という言葉が飛び交う政府高官レベルの会議、正体不明の生物により、事態はどんどん深刻に。

 

ここで描かれる押し寄せるボートや瓦礫が3.11のあの光景を描いているのは火を見るより明らか。

中でもロングショットて撮られた、一人の人物が迫り来る瓦礫から全速力で逃げるシーケンスは印象的。

 

突如進路を変更し、海へと進路を変更する巨大生物に日本政府は楽観視、もう戻っては来ないのでは、と。

それに警鐘を鳴らすのは長谷川博己扮する矢口内閣官房副長官。

彼は、先の大戦でこの楽観視がいかに日本に不利益を与えたかをエレベーターの中で述べます。

官邸が楽観視する中、再び日本に巨大生物が上陸。

ここまでの描写を庵野秀明は細かいカット割、字幕の応酬で描きますが、次から次へ出てくる

肩書を当然追えるわけもなく、CM等で観たあのゴジラに姿を変えた巨大生物の上陸を迎えるわけです。

観終えて思ったのですが、人物が次から次へ出てくる映画はあまり得意ではないので、

最終的にストーリーを理解できずに見終えるということが、シン・ゴジラに関しては無かったな、と。

想像するに、確かに肩書きがある人間は次か次へ出てきますが、基本的なストーリーは、

ゴジラと、翻弄される数名によるお話。

決して群像劇ではなく、あくまで

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ニッポン対ゴジラ

役柄や肩書きは関係ないのです。

この国が、未曾有の危機にどう対処するべきか。

そんなことが真剣に描かれている素晴らしい映画なんです。

 

今まで体験したことのない事象に対応するために集められたのは、

各機関のアウトローたち。

この辺りの演出はアルマゲドンを思い出させます。

彼らが、ゴジラに対してどうすることが最善の策なのかを不眠不休で考え、対策室の

椅子を並べ仮眠をとるも、外では集まった数万人であろうとも思えるデモのシュプレヒコール。

 

まさに、安倍総理の憲法解釈変更へ集まったデモではなかろうか。

 

劇中ではゴジラ対策に不眠不休で取り組むアウトローたちの疲労困憊する姿に届くデモの声。

決してその声が邪魔をするという描き方はなされていなかったが、この映画では、

ほぼ一般市民というものが描かれておらず、唯一と言ってもいいほど

未曾有の危機に晒された一般市民の声を描いたシーン。

もう少し、都民や国民の立場を描いても良かったのでは?

 

シリーズ最大のゴジラと言われているが、その大きさを少なくとも個人的に

感じられなかったのは、弱き者との対比があまり描かれていいなかったから

なのではないかと。

排除したのか、描けないと思ったのかはわからないが、とくに首都に迫り来る

ゴジラの巨大さを実感したのは、東京駅周辺のビル群だけで、大きすぎて太刀打ち出来ない

悲壮感があまり感じられなかったのは、個人的にはもったいなかったなぁと。

 

この、未曾有の事態に反応を示す各国。

劇中「彼の国」と揶揄される国、おそらくあの国のことなんでしょう。

「彼の国」はニッポンに対して無慈悲な選択を迫ります。

迫るというか国連の名のもとに押しつけた決定、

 

日本における三度目の核兵器使用

 

このテーマだけはゴジラ映画にとって避けては通れないのでしょう。

むしろ、避けて通られては違和感を感じてしまう。

 

当然ながら日本での核兵器使用への抵抗というのは描かれるわけで、

ただ、核兵器使用云々より、映画では日本における問題の対処について

他国の決定、とくに国連の決定が順守され得ることに警鐘を鳴らしているように思える。

日本という国が、いかに他の国の世話になっているか、そしてその国との付き合い方。

当然ながら、集団的自衛権という言葉が劇中には登場しないが、見ている側からしてみれば

チラつく。

 

そんな、様々なテーマを盛り込んだように見える庵野秀明版ゴジラ。

 

しかしながら単純に、現代ニッポンに巨大な怪獣が現れたら?を丁寧に描いた作品に思えてならないのです。

 

もちろん、右だ左だという人もいますが、右から見れば、自分より左にいる人は左だし、その逆もまた真なり。

普通に面白い映画だと思いますよ!

個人的にVFXが大好きなので、建物の破壊描写や炎の描かれ方がすごく気になりますし、

すべてがCGによる破壊描写かと思ってたミニチュアも使っていたり、

音楽も伊福部昭のオリジナル音源がおそらくモノラルなのでしょう、そのままセンタースピーカーから出しているあたり

こだわりを感じましたが、そんな重箱の隅をつつくような見方をしなくても、どうです?

国家が巨大生物に翻弄されどう対処していくかがすごく丁寧に描かれているではありませんか。

 

今回の作品には愛が描かれてなかったように思えます。

男女、親子、兄弟、ハリウッド映画にありがちな愛が一切。

徹底してゴジラという脅威に対して東京が、国が、どう対処していくかだけが描かれている、そんな映画です。

むしろ、この映画を政治的と見る人を嘲笑っているかのようにも思いましたが。

近年日本で製作されたゴジラで度々登場したメーサー砲なんてとんでも兵器は存在しません。

ただただ、人間というちっぽけな存在と神とも思える存在の攻防です。

 

あまりに今の日本人は情報に踊らせているのではないかと思います。

これは映画です。

右も左も関係ない、戦後まもなくスクリーンに映しだされた巨大怪獣に心震わされたかつての日本人のように

この作品を観て、震え上がり、劇場をあとにした時、すげぇって思える作品を庵野秀明は丁寧に

生み出してくれたのではないか?

そう考え、一応シン・ゴジラの感想と致します。

 

まとまりのない文章で非常に申し訳なく思いますが、近々もう一度観ようかと思っているので、記事は修正するかも。

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